巻 頭 言

Colum

5、6月巻頭言

「本能寺の変と明智光秀」

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」を毎週面白く見ている。 しかし見ていて分からないことがある。 一つは何故明智光秀が麒麟なのか、また何故彼が信長を打たねばならなかったのかその理由が分からない。 勿論ドラマが終わった訳ではないので、結論を求めるのは無理かも分からないが興味があるので私なりに少し調べてみた。 信長と光秀が活躍したのは16世紀後半から17世紀前半であるから、丁度日本の社会、政治が大きく変転するいわゆる戦国時代終期であり世界的にもポルトガル スペインによる大航海中の真っ最中だった。 つまり世界中が大きく変化する時代であり、それだけ謎の多い時代だった。 今年5月出版された「キリシタン協会と本能寺の変」(浅見雅一著 角川新書)を読んだ。 以前安部龍太郎氏の著作で「信長は何故葬られたのか」(世界の中の本能寺の変)(幻冬舎新書)を読んで大変興味を持っていたので今回の著書も興味を持って読ませてもらった。 浅見氏は慶応大学の教授でキリシタン史専門である。 氏はこの本で従来の古文書(日本国内)を基礎としつつ主に外国人であるポルトガル スペイン イタリアから派遣されてきた宣教師が本国に書き送った日本での布教状況報告書や記録文を資料として使ったと述べておられる。 即ち日本人の記述した記録や往復書函等はサブ資料として外国人から見た事件の報告を中心に著述したものである。 従って日本人同士の利害関係に捕らわれることなく事実が見られるのはないかとの思いでこの資料を使われたのであろう。 しかしよく読むとやはり外国人なので利害がないかわりに日本の複雑な状況の分析が足らないように思われる。 ともあれ信長はそれまでの閉塞した中世日本社会をぶち壊し積極的に西欧の先進的な文明を取り入れようとした奇異な人物であった。 戦闘にはいち早く鉄砲を取り入れ圧倒的な力で天下統一を試みた。 しかしそれまでの日本社会の壁は厚く、全国に群雄割拠した武将を制圧するには力が必要だった。 鉄砲を用いるには火薬が必要だった。 火薬は木炭と硫黄と硝石が必要であり鉄砲製造には軟鉄と真鍮が必要であり弾には鉛が必要であった。 このうち硝石、鉛、真鍮は大部分輸入品でありそれを輸入するために力を貸したのがイエズス会と堺の商人達だった。 信長は必然的にイエズス会の宣教師を大切にし堺を抑え輸入を独占する必要があったのである。 信長は天下布武を叫び従わないものは謀反者として容赦なく攻め滅ぼした。 しかし日本古来から存在した天皇とは折り合いを付けざる得なかったが妥協には至らず天皇側も様々な権謀術数を用いて対抗していた。 このような関係と状況の中信長は海外貿易の必要からイエズス会の布教を許した。 当時の日本国内には10万から20万人一説によると30万人のキリスタンがおり大名も高山右近をはじめ細川藤孝、黒田官兵衛と一説では毛利前田などもキリスタン大名又はそのシンパとして存在していたと言われている。 以上の様な状況を作り出した大将に光秀は仕え自分もその一端を担ったのであるから自分から謀反を企てることは考えにくい。 この謎のような状況で明智が信長を打つ理由は何だったのか。 今までの書物で色々原因が挙げられているが大きく分けて三つの説がある。 ①は怨恨説②は野望説③は黒幕説だが何れも根拠薄弱で有力な原因とは言い難い。 では一体何が光秀を動かしたのか? 浅見氏がイエズス会の資料を基に推論として挙げたのは、信長がいよいよ天下統一が近くなり明智光秀の力と能力を警戒し何れ近いうちに光秀の誅殺を考えていたとこが事前に漏れて光秀の知る所となりこれを防ぐためにはこれ以外にないと考え先手を打ったのではないかと書いている。 当時はすでに書いた通り戦乱の世で攻め滅ぼされた領主の一家は皆殺しになり領民は流民となって一部は奴隷として東南アジアに売られていくような状態であった。 光秀はそれを見ていて自分が誅殺される前に信長を殺害してこの苦難の状況から一家一族領民を救うことを考えたとしても不思議ではないと推論している。 そう考えれば本能寺襲撃後の行動は府に落ちる。 天下を狙るでなし、都を焼くでなし、誰かの利益の為に動くでなし、ましてや徳川家康をやすやすと逃げさせたりしている所を見ると光秀の行動そのものがあまりにも常識外れに見える。 この光秀の考え方にいささかの影響を与えたのがイエズス会の宣教師オルガンティ-ノではなかったか。 即ち彼は天下国家より家族を大切にすることを教えたのではないか。 しかしその結果は結局追い詰められ明智一族は何も残さず滅亡することとなり、しかも娘の細川ガラシャまで豊臣に人質にならず自害して一族に準じた。 光秀はそこまでは判断できなかったのである。 現在のコロナウイルスはステイホ-ムとして家族を大切にすることを教えたのは光秀の生き方が蘇ったようではないか、何だかそんな気がする。 天下国家も大切だがやはり人間の基本は基層の単位である家族の安寧こそが平和の基礎であると思う。 その意味が光秀は麒麟なのかも知れない。 戦国時代はまたキリシタンの時代だった。 日本が西欧文明に触れ社会が戦乱から少しずつセイシツ時代に移っていく時代に光秀は生きた人だった。 それをNHKは麒麟と見立てたのかも分からない。 最後までこのドラマを見て見たい。

2020年6月8日 藤村 明

※麒麟(児) 古代中国の創造上の動物。 聖人がこの世に出る前に出現するという。 天才ともいう。